その1

理事長が亡くなって、一ヶ月以上が経ちました。


私が初めて理事長に会ったのは、4年前。
平成17年3月6日 岐阜県県民ふれあい会館で開催された「緑の研修生」面接会の場でした。


当時の私は、結婚し、1歳の娘が居ましたが失業中の身でした。


大学卒業後、ソフトウェア会社に勤めて5年目の事でした。
自宅から勤務先までは、満員電車で片道一時間半の通勤。
帰宅は毎日のように終電で、帰って寝るだけの生活。
徹夜だったり、近くのホテルで仮眠だったりということも、ありました。
職場の仲間は悪い人ではなかったのですが、仕事の内容と自分の将来に不安を抱きながら生活していました。
精神的なストレスを抱え、「(電車に飛び込むのでは)」と嫁に心配をかけるまでの状態に追い詰められていました。


そんな状態が続いてる時期、漠然と転職を考えるようになっていました。


たまたま目に留まったのが、「林業体験ツアー」というものでした。
山梨県の森林組合が開催していたツアーで(今も定期的に開催している様です)、桧の間伐体験をするという催しでした。
当然、チェーンソーは使わせて貰えないので、胸高直径15cm位の桧でしたが、手鋸で受口と追口を入れ、汗だくになりながら、伐倒(大袈裟ですが)したのでした。
参加者は30名位でしたが、暗かった林内に光が差し込み、風が吹き込み、爽快感に包まれた事を今でも鮮明に記憶しています。
退職の2ヶ月前の事でした。


そんな体験が「どうせ仕事をするなら、本当にやり甲斐のある仕事がいいなぁ」という、気持ちを固めました。


年が明けて平成17年1月21日、東京で「森林の仕事ガイダンス」が開催されました。
各都府県のブースを廻りましたが、当時は「緊急雇用」が条件とされており、なかなか条件が合いませんでした。

生まれが高山市という事もあり、岐阜県のブースでお話を聞かせて頂いたところ、「3月に合同面接会があるから、どうですか?」と誘われたのでした。


緑の研修生になるためには、緊急雇用で働いている証明が要るため、各方面を探していたのですが、年度末という事もあってか、なかなか見つからない状況でした。

その間、登録型派遣社員として、日銭を稼ぐ生活でした。
(今考えると、恐ろしい・・・)


そして3月6日、千葉から車で岐阜まで来たのでした。

数社で話を聞かせてもらったのですが、あまりピン来ないなか、最後に林工のテーブルで話を聞かせてもらいました。
話した内容で覚えている事は「林業体験ツアーでの爽快感」。これだけ・・・。

「緊急雇用の当ては、探してみます。また連絡します。」という言葉を頂き、千葉へ戻りました。

失業中の身を、理事長に救って頂いた気がします。

2日後連絡があり「明日からおそらく緊急雇用で遣って貰えそうなんだが、来れるかね?」と。

「(千葉なんですけど、、、無理言うなぁ・・・)」とは到底言えず、「はい、大丈夫です」と即答。
林工の印象は、嫁にも伝えてあり、「働くなら林工が良い」という思いは固まっていました。

この時点で、心配を掛けまいと、互いの両親に退職した事は連絡していませんでしたが、タイミングが悪い事に嫁がインフルエンザの高熱で寝込んでいました。
1歳の娘の子守が居なくなるので、急遽義母に事情を説明し、はるばる来て頂いたのでした。
ほんと、心配・迷惑ばかり掛けてすみません。


そして翌早朝、車を飛ばして岐阜入り。
途中、理事長から留守電に「多分大丈夫だと思うので、とりあえず来て下さい。」


林工の事務所へ寄って手続きを済ませ、夕方”つしけん”さんの案内で明宝へ。
私を受け入れて下さった先は、「NPO法人ウッズマン」。
(色々と事情があり、すっかりご無沙汰ですが、顔は出したいと思っています。)

一週間という短い期間でしたが、代表の水野さんを始めウッズマンの方々、末武さんには大変お世話になり楽しい時間でした。


という慌しい3ヶ月の後、林工でお世話になる事になりました。

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