その3

傍から見ていて辛そうな様子の時でさえ、ネガティブな言葉は一切聞きませんでした。
常に前向きで、常に新しい発想で、常に知識を蓄え、常に適切な手を選択されていました。
堅苦しい話にも、ユーモアを交えて、聞く人を飽きさせませんでした。
時々、脱線したりもしましたが。

「人に喜ばれる仕事」

会社の利益だけでなく、従業員、地域、社会に貢献する事が大切だと。


僅か4年弱の時間でしかありませんでした。
もっと沢山のお話を聞かせて頂きたかった。
もっと、山の事を教えて頂きたかった。

沢山迷惑をおかけしておきながら、最後まで謝る事も感謝の言葉を述べる事もできませんでした。
「すみませんでした。そして、ありがとうございました。」

あれから一ヶ月、様々な場面で「こんな時、理事長だったらどうするか?」、、、答えが返ってきません。


電波の届かない所で、静養されている様です。。。



きこりを目指し、技術を磨こうと飛び込んだ世界でした。


裏方として、山で、工場で働く人たちのサポートに徹します。

「よくやった」と褒められる事を目指して。


現場の人には迷惑を掛けっぱなしで、少しも貢献出来ていませんが・・・

この記事へのコメント

  • ぐっち1号

    1ヶ月以上経ってもまだ実感できませんね。
    自分もあちこちのガイダンス、説明会を受けましたが、これは!という事業体には巡り会えなかったです。岐阜での説明会、理事長の森にかける想いと、つしけん先輩の仕事に充実している姿を面接で目の当たりにし、初めて現地を見て見たいという気になりました。
    自分ら4期生が、朝、仕事に出る前に理事長の話を聞けた最後の世代です。あの当時はなかなか終わらない話にやきもきしたりしていましたが、もっと話聞きたかったですね。
    2009年03月14日 06:50
  • つしけん

    ウッズマンの水野さんから連絡をもらって緊急雇用の話を理事長に話したのは僕でした。それでイシの運命が変わったと思うと怪我をした時は、僕が理事長に話をしなければこんな事にならなかったのにと思いました。

    でも今は縁があってこうなったんだし、前向きに事務仕事をこなしているイシを見ていると良かったなと思っています。事務があっての現場なんだからこれからも頑張ってやっていきましょう。
    2009年03月16日 19:04

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