理事長と初めて会ったのは2003年の4月10日岐阜県の「緑の研修生面接会」だった。僕は嫁の実家で家業を継ぐつもりで1年以上一緒に働いていたが、どうしても仕事になじめず義父に出来ませんと伝え4月中に家を出て行けと言われていた状態だった。
緊急雇用で郡上の林業現場で働いており、昔からスキーなどで遊びに来ていたので土地勘もあるし白鳥林工だけ面接して決めるつもりだった。
とんとん拍子で話が進み5月12日から研修生として新しい人生がスタートした。
毎朝僕たちの出勤時間に合わせて事務所に出て来たり、夕方1日のあった事などを話し合ったりしてサポートしてくださった。とても知識が豊富で熱く語られ、時には1時間ぐらい話し込む事もあった。
毎年研修生を受け入れるに様になり先輩として面接会に同行する事もあった。今の4期生ぐっち1号くん達や5期生K君・Y君の時だ。面接の合間に白鳥に家を建てる相談をしたり、僕達夫婦が経験した世界一周の船旅の話などをした事を憶えている。
現在の6期生まで毎年研修生を受け入れていたが体調がすぐれず「今の研修生達には色々な話をしてあげられない」と気を遣っていた事も思い出される。
理事長の口からよく出た「先代達が苦労して育てた木を利用しないのはもったいない」という言葉は仕事中によく思い出し考えさせられる。
たった6年弱だっただけど僕の人生の中ではとても貴重な時間だった。
もっと色々な事を話して学びたかった・・・。
僕は誓います。理事長の想いを心に毎日山へ出掛けて行きます。
今は安らかにお眠りください。そして僕達が造る山を見ていてください。
100年先に届けれるような山を造っていきます。
(つしけん)
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
えちこ
微力ながら応援しています。
美谷添理事長には、森林文化アカデミー在学中と、
Ms建築設計事務所で家づくりなどでお世話になりました。
初めて出会った林業家です。
私は関わりは少ない方でしたが、美谷添さんの熱い想いは十分に浸透しています。
熱い想いと優しい心と立派な人格が同居している、
とても大切な存在の方だと思います。
私のような部外者が、参列に行っていいものか迷いましたが、
美谷添さんはどんな人間でも喜んで笑顔で迎えてくださるという確信があり、
大阪からお邪魔しました。
私は関西に戻ってからは、関西の木材を使うことが増えましたが、
また白鳥や岐阜の山のために少しでも力になれるような、
美谷添さんに喜んでもらえるような、
そして町の人にも喜んでもらえる、
そんな木の使い方をしていきたいと思います。
美谷添さんは若い人を常に応援してくださったので、
それに応える働き方、生き方をしたいと思います。
お互い、山と町でがんばっていきましょう!
つしけん
えちこさんみたいに理事長の熱い想いを理解して下さってる方がいる事をとてもうれしく思います。これからもたくさんの人が国産材を使ってくれる様に頑張って下さい。
僕達もたくさんの人が喜んでくださる様な山造りを続けていきます。